大動脈解離 (定義, 症状, 分類, 診断, 治療, 慢性期フォローアップ)
高齢社会化,動脈硬化病変の頻度上昇に伴い,大動脈解離とよばれる大動脈疾患が増加しています.
大動脈瘤と違ってなかなか理解しにく病態ですが,わかりやすく説明すると次のごとくになります.
大動脈の壁(厚さ2,3mm)
はバウムクーヘンの様に3層構造から成っています.すなわち内膜(内皮)と中膜,そして外膜の3層です.内皮は血流に直接当たる部分で,
血液凝固をおこさないようなホルモン状物質の分泌などの活動もになっています.外膜は丈夫な繊維性の皮で壁構造の強度維持に働くとともに,感覚神経(圧覚や痛覚など)
の末端を備えています.中膜は文字通り内皮と外膜の間に挟まった部分で,ちょうどスポンジのような構造で大動脈壁のしなやかさを維持するための部分です.
動脈硬化の進展による内皮〜中膜組織の硬化と脆弱化,そして高血圧(持続性あるいは間歇性)による壁へのストレスが重なることが解離をおこす理由の最も多いもの
(中年〜高齢者に好発し,男性で多い)ですが,中には体質的に動脈壁構造が弱くなる病気(Marfan症候群など)を持っていて,比較的若い時期に発症する場合もあり
ます.
大動脈壁の弱い部分に圧ストレスがかかって内膜の一部が破綻すると,内腔の血液が中膜組織内に入り込んでゆきます.
(この破綻部位の事を解離のエントリーと呼びます.)中膜組織はスポンジ状ですので,容易に破壊されて血液はどんどんと流入してゆき外膜にも圧力をかけてゆき
ます.外膜まで弱かったら,あっという間に大量内出血をおこして死亡に至るわけですが,幸いにも外膜組織は比較的強度が高いため,この皮一枚でなんとかくいとどまりま
す.この状態,つまり大動脈の最外層に血豆がひろがって外膜がツルツルになって踏みとどまったものが,大動脈解離の急性期の状況ということになるのです.
(下図を参照してください.)
こうして出来上がった血豆の空間が解離腔と呼ばれます(もともとの血流空間を真腔と呼ぶのに対して,解離腔を偽腔と呼ぶこともあります.)
解離腔がひろがって全体としての大動脈径が正常の1.5倍以上となることが多いので,大動脈解離の事を別名,解離性大動脈瘤とも称します.しかし,
偽腔の拡大に伴って真腔が圧排されてしまい,全体としての大動脈径はわずかにしか拡大しない場合もあり,総称的にはやはり,大動脈解離と表現すべきです.
外膜と中膜が剥がれる時には著しい痛覚を覚えることが多く,解離発症の際には破綻部位に相当する部分に激烈な痛みと苦しみの感覚が生じます.たとえば内膜破綻(解離のエントリー)
部位が上行大動脈にある場合は突然の著しい持続性胸痛が発症時の症状,ということになります.血豆はどんどんと遠位側の大動脈にもひろがってゆくことが多いので,この痛みはしばしば喉もとから次第に背部痛にまで広がってゆく事になります.エントリーが下行大動脈開始の部分におこる場合も多いのですが,その場合には突然の背部痛ではじまりしばしば腰の方まで痛みが進行してゆきます.
上行大動脈解離腔による圧排で冠動脈阻血や大動脈弁高度逆流,心嚢内液体貯留がおこるとショック状態となって胸部苦悶とともに血圧低下,意識レベル低下をきたし,急速に危険な状態に陥ってしまう事になります.
解離腔が真腔を圧迫して腹部主要血行を阻害したり腸骨動脈を圧迫する場合があり,これらの場合には膵臓炎のような腹痛,背部痛や下肢の痛みや変色(チアノーゼ)が生じることになります.
内膜破綻(解離エントリー) がおこる好発部位は上行大動脈内,弓部,および下行大動脈の起始部(左鎖骨下動脈分岐よりすぐ遠位の部分)です.エントリー部位およびここから出来上がる解離腔 (中膜層内に広がってゆく血豆の空間)の範囲によって下図のように分類されています.
↑ 大動脈解離の分類
◎
上行大動脈に解離腔があるかないかで分類がされるのには理由があります.
上行大動脈に解離腔が及んでいる場合(Stanford
A型=DeBakey I型ないしII型) は発症後急性期に
解離腔が冠動脈入口部を圧迫して心筋への栄養が不十分となり心ポンプ機能が失われて急死に至る可能性が高い.
解離腔が大動脈基部まで及んで大動脈弁をゆがめ,高度の閉鎖不全を生じて心不全が急速に進み死に至る可能性が高い.
解離腔で血豆状に溜まった血液成分が薄く突っ張った外膜を介して心嚢(心臓を包んでいる袋で上行大動脈の中腹まで及んでいる)の中にしみこんでしまい(心嚢液貯留),心臓を外側から圧迫して血圧を出にくくしてしまう(心タンポナーデといいます)可能性が高い.
以上の3つのいずれか,あるいは幾つかが組合わさって,発症から急性期に致死的となることが多いのがStanford A型の急性解離の特徴なのです.これに対して解離が下行大動脈に限局している(Stanford B型=DeBakay III型)場合には厳重な安静と降圧治療(血圧を下げる治療)によって切り抜けられる場合が多いのです.つまり上行(〜弓部)解離では緊急的あるいは準緊急的に手術治療が必要となる事が普通であるのに対して下行大動脈の解離では厳重な内科治療が第一選択となる,という治療方針上の違いが出てくるわけです.
急激に発症する激烈な持続痛とその分布,もともと血圧が高かった人が苦悶を呈して低血圧で運ばれてきた場合などにはまずもって急性大動脈解離を疑って,
心エコー図と造影CT(あるいはMRI)検査を行うことになっています.これによってほぼ間違いなく大動脈解離およびその分類が明らかになります.
上行大動脈に解離が存在する場合(Stanford
A型=DeBakey I型およびII型)には心エコー図によって大動脈弁閉鎖不全の有無やその程度,冠動脈起始部と解離腔との位置的関係,心嚢内液体貯留の状態などの把握が
行えます.心電図によって冠動脈圧迫によって心筋虚血が現れていないかどうかの確認をとる事も重要です.
下肢の虚血性変化(チアノーゼや下肢疼痛)や腹痛,背部痛
および血液検査上の肝機能障害や膵炎所見が出る場合もあり,これら臓器への血流が偽腔による圧迫で阻害されている現れと判断されます.
(Stanford A型の解離に対する治療)
(Stanford B型解離に対する治療については→
)
上行(〜弓部)に解離腔がある場合( Stanford A型=DeBakey I型およびII型)には上記のごとく,冠動脈圧迫による心筋虚血や大動脈弁閉鎖不全,心タンポナーデなどを呈して致死的になる事が高率に発生 するので, 急性期に手術治療を適応するのが普通です.
上行(〜弓部)解離であっても,まれに解離腔内に入り込んだ血液が急速に血栓化してしまうラッキーな 経過をとる方がいます(血栓閉塞型解離).造影CTによって容易に診断できます.この場合には上記の危険な進展を見ないで治ってゆく (解離腔が血栓で閉塞されて修復機転がはたらき,自然に腔が吸収されてゆく)傾向があるので,手術を急がずに降圧(血圧を下げる治療)と安静主体の内科管理を 行い,CTを繰返し撮影しつつ慎重に経過を観察するのがよいとされています.
上行(〜弓部)解離に対する手術治療は解離をおこした部位(解離エントリー)を含めて,その近傍大動脈を切断,
切除し,人工血管にて置換する方法が採られます.
切断した断端で内膜と外膜をしっかりあわせなおし,上下の大動脈の間に人工血管を間挿することで解離が心臓にむかって進展し,大動脈弁閉鎖不全や冠動脈圧排,心タンポナーデを
発生あるいは再発させるということがなくなり,治癒が図られる,というわけです.(
下図の例をご覧下さい.手術は人工心肺装置を用いて心臓から大動脈への血流を機械に委ねる形に変更した上で実施されます.解離腔によって冠動脈が圧迫されている場
合には下図の例のように冠動脈バイパス術が併設されますし,大動脈弁が破壊されている場合には
Bentall手術が適応される場合もあります.また解離エントリーが弓部にある場合には
弓部全置換が実施されます.)
** | 手術に用いる人工血管の材質は Dacron とよばれる化学繊維で織り込んで作ったものやGoreTexという撥水性材料で作られた筒状構造のものです.Dacronの織物の場合は,血液が折り込みの目から 漏れることで出血がおこるわけですが,最近の人工血管材料の場合,筒の外表面にコラーゲンやゼラチンを”塗って”出血がおこらないようにしたものとなっており,吻合部以外か らの出血の問題はほぼ完全に解決されています.このような人工血管の耐用性は非常に長く,人工血管の劣化によって再手術を要するような事態になることはありません. |
しかし,急性解離(上行〜弓部)に対する緊急手術の成績は必ずしもよいものではありません.
急性期には大動脈壁は”割れていて”菲薄化しているために縫合部の針穴からの出血すらなかなか止まらな
い状態になってしまいます.しかも解離腔内で止血のための血栓形成機転が働くために凝固因子がこの部分で消費されてしまい,出血傾向が出現するために,ますます血
が止まらない状態になってしまうことが多いのです.このファクターが強く働くために手術においては止血操作にしばしばかなりの時間を要し,手術侵襲が高くなる傾向があります.
さらに心タンポナーデや大動脈弁閉鎖不全,冠動脈血流低下のために心に負担がかかった状態での手術になる場合にはさらにきびしい戦いとなります.大動脈急性解離(上行
大動脈〜弓部)に対する緊急手術は,こうした事情から安全とは言えず,手術死亡率は10〜20%に登ります.しかし,この病態では手術をしない場合にはほぼ確実に死亡してしま
いますので,大きなハードルを抜けなければならないのです.
手術が成功した後では大動脈解離は,もはやStanford
A型(=DeBakey I型あるいはII型)ではなくStanford B型(=DeBakey
IIIaあるいはIIIb型)になったわけですので,以下に示す治療方針で見て行けばよいことになります.
↑ 上行大動脈に解離腔がある急性解離に対する手術の例 (説明本文は→ )
(Stanford B型の解離に対する治療) (Stanford
A型解離に対する治療は→
)
解離が下行大動脈に限局している( Stanford B型=DeBakay III型)場合には厳重な安静と降圧治療(血圧を下げる治療)によって切り抜けられる場合が多いのです.従ってこの型の急性解離を見た場 合には,血栓閉塞型であろうと, そうではなく,解離腔に血流が維持されている型(解離腔残存型)であろうと,通常緊急手術を構えることはありません.この内科治療が奏効し, 安定した後の状態としては2つのタイプのいずれかになります.
一つは解離腔内の血液が次第によどんで血栓形成によって閉塞をしてゆき,内外膜が再び接合してゆく経過です. こうなると慢性期にはほぼ大動脈性状は正常に近づいて行き,強度も回復して安心できる状態になってゆきます.(解離腔の血栓性閉塞型治癒; 下図)
もう一つは,解離エントリー部位から入り込んだ血流がより遠位の大動脈部分で再び内膜亀裂を作って真腔と交 通する場合です.この再交通部をリエントリー部位と呼びます.リエントリーは必ずしも一箇所とは限らず,複数箇所で真腔と交通する場合も多いのです.こうなると, しばしば解離腔(偽腔)内でも血流が維持され,慢性期には真腔と偽腔の二連銃状態になって固定してゆきます.大動脈径は全体として拡大する傾向になります.慢性期になると 外膜組織に修復機転が働いてけっこう丈夫な外壁を形成しますので急性期のような不安定な(破裂しやすい)状態からは解放されますが,それでも正常大動脈や血栓性閉塞をみた 解離後の慢性期と較べると若干不安を残した治り方という事になります.(解離腔残存型あるいは二連銃型治癒; 下図)
◎ 下行大動脈の解離に対して急性期手術が適応される場合としては:
解離腔が拡大し,血液成分が外側に滲みだしてくる場合(切迫破裂).この場合多くは肺を包んでいる膜 (胸膜)内に血性の浸出液が溜まってゆくのがCT検査やX線検査にて認められてゆきます.こうした場合は急性期であっても開胸手術を行って拡大部位(通常解離エントリー部位 が拡大する事が多い)の人工血管置換を実施することになります.
解離腔が真腔を圧排することによって腹部臓器や下肢への血流が阻害された場合.この場合は健常に流れ ている部分の血管から阻血に陥った臓器への血行を再建する姑息的な手術法が選択される事もあります.(上記の図の大腿動脈crossoverバイパスを参照してください.)あるいはこのような場合は大腿動脈からカテーテルという管を挿入して大動脈内で真腔と偽腔を境して いる内膜を一部穿破することで交通をつけてしまう,という非手術的な治療が行われる事もあります.
上行大動脈解離に対する緊急手術と同様,下行大動脈解離に対する緊急手術も縫合部の出血および出血傾向に よるその増悪に苦しめられて困難な手術になることが多く,特に左鎖骨下動脈分岐部近傍(Stanford B型解離のエントリー部位として最も多いところ)は手術視野が極めて悪い部位であることも影響して,手術成績は決して安心させられるようなものではありません.手術死亡率 は10〜20%以上になります.
** | 胸部下行大動脈の解離に対する緊急手術の成績が不良であるため,最近では大動脈内 ステントグラフトの適応が検討されつつあります.急性解離では大動脈瘤の手術時とちがって壁内 に動脈硬化性のカスが存在していない事が普通であり, 同部の瘤にステントグラフトを適応する場合よりもカスが 飛んで末梢側の塞栓症(脊髄動脈への塞栓による 対麻痺の発生や腎梗塞,下肢阻血など)がおこりにくいため,道具立ての改良によっては手術を凌駕する成績を上げられる可能性があり,期待されるべき治療戦略であろ うと考えられます. |
◎ 下行大動脈解離に対して慢性期手術が適応される場合としては:
大動脈径が拡大して総径として最大径60mmを超えるようになった場合は同部で破裂するリスクが高くなるの で人工血管置換術が適応されます.(Marfan症候群のように体質的に大動脈壁が脆弱でおこった解離の場合には最大径50mmを超える段階で手術をするべきとされています.)
手術法としては 胸部下行大動脈瘤の手術,あるいは 胸腹部大動脈瘤の手術と同等になります.
下行大動脈解離で急性期を乗り切り外来管理をするようになった患者さん, および上行〜弓部大動脈解離に対して緊急手術を行って下行大動脈解離の形になって退院した患者さんたちに対しては,引き続き厳重な血圧管理 (降圧剤の調整,塩分を控える,ストレスや過労を避けるように生活を整える等)と動脈硬化進展防止治療をおこないつつ半年〜1年毎のCT検査を実施し て解離腔の状態や総径としての大動脈径の動向を慎重に確認してゆく必要があるのです.